【配属先紹介 / 有島記念館】

有島記念館で働かせていただいている協力隊の大橋です。

今回は、3月12日に行われた宮山登山にちなんで、有島武郎と有島の地についてショートトリップしたいと思います!旧有島農場記念碑には、有島武郎の弟である生馬により、父・武が「開拓」し、武郎が「解放」した地と刻まれています。さて、父・武と武郎は、どのような関係だったのでしょうか?


ニセコは豪雪地帯の為、農耕不適地とされていましたが、国の政策である「北海道国有未開地処分法」により、1898年に父・武が、この地に賃下げを出願しました。この時、山本農場(のちの有島農場)の他にも、近藤農場、曽我農場など、東京から多くの投資家がこの地を開拓し、今でもその名を残しています。有島第一農場は、なんと、現在の有島記念館~ニセコ駅付近までにもおよんでいました。


1906年に函館―小樽―札幌間で直通列車が走ることととなり、まさに地方創生の時代が始まりました。農場があったから鉄道が必要となり、鉄道が開通して農業が盛んになりました。そして、1908年に父・武は、農業に憧れを抱いていた武郎を思い、アメリカ留学から帰国した武郎に山本農場の名義を変更しました。

※展望塔より。羊蹄山の麓、左手前の雪のあるところが宮山です。


※館内には、列車に関する展示も一部ございます。


1916年に武郎は、妻と父を相次いで亡くし、同じ年に1900年に父・武が宮山(宮山登山では山頂まで行きます)に造営した弥照神社を現在の地に移転しています。

※宮山登山の様子


※現在の弥照神社。ここで農場無償開放の宣言がなされました。


1918年から1920年の短期間に「小さき者へ」「生れ生づる悩み」「或る女」など次々と作品を生み出しました。


1923年に自らの命を絶つ前の年、1922年「相互扶助」の思想のもと小作人を弥照神社に集めて「農場無償解放」を宣言しました。その後、武雄が農民の経済的自立を考えて、着工した灌漑溝工事の負債が、武雄の志を受け継いだ狩太共生農団の経営を苦しめたが、自力で完済しました。やがて、太平洋戦争の終戦に向かい、土地共有が駐留軍の意にそわず、農団は解散し、それぞれの農家の私有地となりました。

※有島記念館常設展


この地を開拓した父、この地を文学作品で有名にした有島武郎のお二人がいらしたからこそ、今のニセコ町、有島記念館があるのかと思いながら歩くと、感慨深いものがあります

※お客様による有島記念館内での展示物への接写はご遠慮いただいています。


そのころも今も変わらず雄大な自然に癒され、高野さんの美味しいコーヒーを飲んでいると、ふと「親子」を読んでみようかと、心のゆとりが生まれます。そんな休日の過ごし方はいかがでしょうか?皆様のご来館をお待ちしています。


有島記念館

開館時間. 9:00~17:00(入館は16:30まで)

休館日. 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日休館)

入館料. 一般500円(団体10名以上:400円) /高校生:100円

 (※ブックカフェのみのご利用の場合は、入館料は無料です。)

アクセス. JRニセコ駅より徒歩約30分(約2.5km)/タクシー5分

住所. 〒048-1531 北海道虻田郡ニセコ町字有島57番地

Tel. 0136-44-3245 /Fax. 0136-55-8484