卒隊生インタビュー②近藤信勝さん(移住8年目)

卒隊生インタビューPart2!! 

今回は2015年5月から2018年3月までの3年間協力隊として活躍されていた近藤信勝さんへのインタビューです。

ニセコ町地域おこし協力隊の支援業務を町より請け負っている近藤さんは、私たち協力隊にとって、配属先と役場との窓口になってくれたり、任期の3年間の不安や人生相談したりする近くで頼りになる存在です。

そんな近藤さんの  ①なぜ協力隊になったのか  ②協力隊隊員時、在籍後の卒業してからの仕事について   ③今とこれからのニセコ町地域おこし協力隊に期待すること    をご紹介いたします。

旧でんぷん工場で事務処理を行う近藤さん


① 協力隊になった理由

神奈川県出身の近藤さん、プロジェクトマネージャ/システムエンジニアとしてベテランの域に達していた頃に待っていたのは、リストラだった。

システムエンジニアという職は、頭脳労働であり頭の回転が速い若者が重宝される時代に変化してきている。特に都市部では次々と質のいい若者が現れるためその傾向は顕著である。長年自身が培った経験だけでは太刀打ちできるものではなかった。

そんな都会での生活を振り返った時、もっとゆったりとした生活にシフトしたいと思い、田舎へ移住のできる地域おこし協力隊に興味を持ったという。

自身が南国宮崎の出身ということもあり、さまざまな町村候補の中で最北に位置していたニセコ町に決めたのだ。

協力隊となるためにまずやったことは

   ニセコ町に住む家を買うこと

当時は今ほどニセコ町の土地が高くなかったこともあるが、逃げ場を作らないという近藤さんらしい大きな決断である。


② 隊員時、卒隊してからの仕事(今の仕事)

株式会社住まいるニセコ

主な業務内容:施設管理、清掃事業、コンサルティング業務

2016年設立。協力隊の2年目の任期中である。

当時農政課として配属されていたため、様々な農家さんのお手伝いを行いながら、休みの日を使い、今の自分の仕事の基盤を作ってきた。清掃事業はその時からの業務である。

卒業後は、町からの委託事業として

ニセコ町五色インフォメーションセンターや、ニセコ中央倉庫群の施設管理 をすることにもなった。人との繋がりを大切にしてきたからこそ得られた仕事だ。

じゃがいもおかき、ゆり根パイまんじゅう、ポテトせんべいの開発・販売をしていたもの記憶に新しい。

"Niseko POTATO SENBEI"

ニセコ町のじゃがいも5種類を使ったお菓子。
とても丁寧に製造されており、お土産として人気!


紆余曲折を経てここ2年は、やっと黒字にもってこられたという。

基本やってみる精神でなんでもチャレンジしている近藤さん、仕事を行う際に心掛けていることは、周りの方への配慮だという。


冬は除雪作業も行っている


③ ニセコ町地域おこし協力隊(現・今後)へのメッセージ

ニセコ町に来たからといって、将来が保証されている訳ではないし、右も左も分からない場所でやっていくためには、自分で切り開いていく努力が必要です。

失敗することを恐れてやらない人は協力隊には向いていません。新しいことにも挑戦し何かしらの形にすれば、それは自分の成果にも自信にもつながります。まずは3年間協力隊でしかできないことをやってみてください。

また、ニセコ町地域おこし協力隊は配属先制度を取っているため、配属先の業務が自分のやりたいことと必ずしも一致するわけではありません。配属先との折り合いをうまくつけていきながら、人と人との繋がりを大切にし、長い人生の糧として、ひとりで出来ない事でも挑戦していける環境をつくりあげていってください。


あとがき

以上、自分のことより他人のことを優先するような面倒見のいい方で、協力隊のみんなが頼りにしている近藤信勝さんにインタビューしました。その中で、初めてアウトドアであること(腰痛により引退ぎみ)やグルメであることを知りました。

協力隊になられた際には、一緒にどこかに出かけてみるのもいいかもしれませんね。

もちろんお仕事の依頼、受注、新しい商品開発などもできると思います。かと言う私も農作物の活用方法のひとつとして商品の共同開発しようと考え中です(笑)

インタビューアー:渡邊明希(2年目)